“映画の天才”羽仁進映画祭

 

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原節子羽仁進監督 略歴
◆1928年東京生まれ。父は歴史家の羽仁五郎、母は婦人運動家の羽仁説子、祖母羽仁もと子の創設した自由学園を卒業。49年、岩波映画製作所創立に参加。52年、『生活と水』で監督デビュー。55年『教室の子供たち』で、授業中の子供たちの姿を生き生きとフィルムに収めて大好評となる。翌年の『絵を描く子どもたち』は、記録映画としては珍しく劇場公開。その後も『双生児学級』(56年)、『法隆寺』(58年)など1作1作が記録映画界に新風を吹き込み、高い評価を得る。60年、長編劇映画第1作の『不良少年』が、61年度キネマ旬報ベストテン第1位と監督賞に輝く。それは、黒澤明『用心棒』、木下惠介『永遠の人』、小林正樹『人間の条件』など幾多の名作を抑えての選出で、素人を起用してドキュメンタリーの方法を用いた生々しい映像の迫力が圧倒的な評価を得たのもので、ヌーヴェル・ヴァーグの時代、新人の台頭を鮮やかに印象づけるものとなった。63年の『彼女と彼』は発足直後のATGで配給され、時代の最前線を疾走する第一人者として名声を不動のものとした。その後も『ブワナ・トシの歌』『初恋・地獄編』などドキュメンタリーの手法を多用した劇映画を製作。一方、長くアフリカ、オーストラリアなどに海外ロケを続け、野生動物を撮りつづけた。『アフリカ物語』(80年)を発表する他、テレビ等で活躍するなど、活動の幅も広げた。94年には、40年を越える映画監督としての功績を評価され日本映画ペンクラブ賞を受賞、近年、ウィーン映画祭、NYリンカーンセンター等で特集上映が相次ぐなど、今、最も再評価の気運高まる日本の監督である。

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