エルンスト・ルビッチ レトロスペクティブ

 

上映作品上映日程料金|トップへ

 

エルンスト・ルビッチエルンスト・ルビッチ Ernst Lubitsch 略歴
◆1892年1月29日、ドイツ・ベルリンで生まれる。16歳で俳優になりたいと宣言し、人気喜劇俳優ヴィクトル・アーノルトに弟子入りする。1911年、舞台コメディアン、マックス・ラインハルト率いる名門ドイツ座へ入門。端役から大役までこなし、ロンドン、パリ、ウィーンと巡回公演を重ねた。翌年ベルリンに戻り、ビオスコープ撮影所で見習い助手として働きはじめる。1913年、映画業界から俳優としてコメディアンとして勧誘される。ルビッチの出演第一作は『アルプス高原のマイヤー』。1914年、脚本、主演を務めた『シャボン玉嬢』が監督処女作。1918年には初の長編映画『呪の目』を発表。『カルメン』(18)で初の国際的名声を手にした。1919年の『牡蠣の王女』ではのちに“ルビッチ・タッチ”として知られることになる輝きが随所にちりばめられている。同年歴史的大作『パッション』を監督。名声はハリウッドにまで届き、1922年、ルビッチはアメリカへ向かう。1923年『ロジタ』がニューヨークで封切られ賞賛される。その後、ワーナー・ブラザーズ社と契約し、『結婚哲学』(24)など、男女間の色恋沙汰をスタイリッシュに描いたコメディ映画を多数つくる。この頃からルビッチの独特のスタイルが「ルビッチ・タッチ」と呼ばれるようになる。 27年にはM-G-M社に招かれて、『思ひ出』を監督。トーキーの時代が到来すると彼の才能は遺憾なく発揮されるようになる。『陽気な中尉さん』(31)、『極楽特急』(32)や『生活の設計』(33)で批評家と観客の両方から絶大な支持を得る。1937年パラマウントに招かれ、マレーネ・ディートリッヒ主演の『天使』(37)を監督。『青髭八人目の妻』(38)を手掛けた後、M-G-Mに戻り、大ヒット作『ニノチカ』(39)を監督。晩年は20世紀フォックス社に活躍の場を移し、自身を投影した最初で最後のテクニカラー映画『天国は待ってくれる』(43)を監督。『小間使』(46)を最後に、1947年11月30日、心臓発作で逝去。55歳だった。

Copyright2015,Cinenouveau,All right reserved