没後10年 野村惠一監督特集

小川紳介監督没後30年 小川紳介と小川プロダクション

三里塚から山形・牧野へ――
スタッフとの合宿生活の中で、
世界映画史に残る傑作ドキュメンタリーの数々を遺した稀有な映画作家。
山形国際ドキュメンタリー映画祭を発案し、
アジア各国のドキュメンタリー映画作家に大きな影響を与えた
偉大なるドキュメンタリスト・小川紳介全作品を一挙上映する!

たわわに実った映画が出来た!

君は小川紳介を知っているか? 60年代末〜70年代、激動の時代に、安保闘争・学園紛争、そして三里塚闘争と、闘う人々の姿を映画で記録し、「自主製作・自主上映」の方法で映画青年たちに大いなる影響を与え続けた屈指の映画監督。三里塚闘争の原点たる農民の心をフィルムに刻み込むため、スタッフと共に山形で農民となり映画を製作。十三年もの合宿生活の果てに作り出した『1000年刻みの日時計』は、ドキュメンタリーとフィクションを融合した映画史に残る傑作となった。一九九二年に五十五歳の若さで亡くなったが、今なお、アジア、世界から映画を志す若者たちが目標とする稀有な存在・小川紳介。没後三十年の今年、小川紳介を見る!

60年代末、“政治の季節”に、自主製作・自主上映で新たな映画情況を切り拓いた
映画製作集団があった。小川紳介と小川プロダクション。
四半世紀にわたる共同生活、対象に迫る独自のスタイルで、
世界映画史上でも類を見ないドキュメンタリー作品を作り続けてきた奇跡の作家集団。
小川紳介監督没後10周年、私たちを鼓舞し勇気づけ、
大きく支えてくれた“志”に満ちた作品群を
今こそ、次の世代に伝えたい。小川プロ全作品一挙上映!!

※『牧野物語・養蚕編』は8ミリ、他の小川プロ全作品は16ミリで製作。今回は、特別上映作品も含む全作をデジタルで上映いたします。

■小川紳介監督略歴
◆1936年6月25日東京生まれ。学童疎開で実家の岐阜県瑞浪市釡戸に移り、敗戦後東京に戻る。55年国学院大学政経学部に入学、映画研究会をつくり映画製作に励む。映研時代に製作を担当した作品に『小さな幻影』『山に生きる子ら』など。59年卒業。60年に岩波映画製作所と助監督契約。黒木和雄監督の『わが愛北海道』(62年)などにつく。62年ごろより東陽一、岩佐寿弥、大津幸四郎、久保田幸雄、土本典昭、黒木らと「青の会」をつくって映画の勉強を始める。それは、「映画について好き勝手に話し合い、ほとんど映画だけが人生のような集まり」だった。64年、岩波映画と契約を打ち切る。◆66年『青年の海 四人の通信教育生たち』を製作。映画が作りたくても作れなかった絶望の状況から、自ら自主製作して作り上げた初監督作品である。67年、続いて『圧殺の森〜高崎経済大学闘争の記録』(67年)、『現認報告書〜羽田闘争の記録』(67年)を撮る。60年代末の学園闘争に先駆けた状況を引っ張るかのように、時代の中で先鋭的に真摯に生きようとする学生たちに圧倒的な支持を受ける。以来、独自の自主製作・自主上映の運動を一貫して突き進んでいく。◆67年冬より三里塚に入り、新東京国際空港建設反対闘争を始めた農民の「土」と生活を死守する闘いを描いていく。68年、第1作『日本解放戦線・三里塚の夏』を製作。以来、長期にわたり農民とともに生活しながら、「三里塚」シリーズ7作品を連作。1本映画が出来ると、フィルムをかついで全国を回る。全国の支援者とともに熱い高揚感の中でフィルムを上映。71年、シリーズ中の核ともいえる第4作『三里塚・第二砦の人々』、そして73年に傑作『三里塚・辺田部落』を製作。映画は、闘争の後ろにある、しかしそれを衝き動かさずにはおかない農民自身の姿を描くよう変遷する。「土にこだわる農民の真の姿を撮るためには、自ら土にこだわらざるをえない……」として、小川プロはその後三里塚を離れ、山形県上山市牧野に移住。三里塚での合宿生活以上に、自ら田畑を耕して共同生活をしながら映画製作を目指す、世界の映画史上でも極めて稀な映画集団の誕生だった。◆75年、牧野で小川監督はスタッフに繰り返し言う。「これからの仕事(映画)は、事件があるから撮る、というのを止めようよ。牧野はニッポンの平均的なムラだろう。際立った事件もない。でも、このムラにカメラが入ったことが、事件なんだ」。82年、まさにそんな映画が出来た。『ニッポン国古屋敷村』である。牧野より蔵王山中に入った戸数わずか8戸の超過疎の村、古屋敷村が舞台である。小さな村を掘り下げていくと、そこはニッポンそのものだった。牧野での小川プロは米作りに精を出し、稲の世界に入っていくのだが、それだけではない。蚕を育て、桑畑も作った。そして86年、なんと13年をかけて生涯の最高傑作『1000年刻みの日時計 牧野村物語』を完成。牧野での時間・空間をまるごと映画にしたようなこの作品は、それ自体が事件であった。村人200人以上が参加して、プロの役者とともに芝居をやってしまったこと、そしてその上映方法もである。京都では、土と藁で出来たこの映画専用の映画館「千年シアター」(シネ・ヌーヴォの前身で、同じ松本雄吉さんが棟梁)を私たちと小川プロ、維新派の協力で建設。夏の一カ月の興行が終わると劇場も姿を消した。三里塚から山形へと四半世紀も共同生活を送りながら映画を撮り続けられたのは、小川監督の発するカリスマ性あってのものだった。しかし、田村正毅キャメラマンをはじめ、寝食をともにするスタッフの存在も忘れてはならない。しかし、これほど長期にわたることは奇跡といっていい。まさに、最初で最後の映画集団であった。この『1000年刻みの日時計』の後、多くのスタッフは離れていった。◆その後、小川監督の発案で、89年に第1回が開かれた山形国際ドキュメンタリー映画祭の実現に向けて奔走する。小川監督の最後の完成作品は、山形映画祭89の公式記録映画『映画の都』となった。90年にガンと診断され、6月に手術。9月23日、大阪で「映画新聞を励ます会」に出席。11月にはイタリア・トリノ映画祭へ参加。映画祭などで、アジアの若き映画人との交流も深め、アジアのドキュメンタリー映画製作への助言を積極的に行なっていった。◆新作への準備にとりかかりながら、ガンが再発し、92年2月7日夜、入院先の病院で死去。享年55歳。あまりに若く早すぎる死であった。小川監督の通夜は2月9日に東京・荻窪で、葬儀・告別式は2月23日、東京・お茶の水のアテネ・フランセ文化センターで「小川紳介とお別れする会・小川プロダクション葬」として催された。位牌には「映画監督小川紳介」とのみ記された。92年から93年にかけて、小川プロ全作品上映が日本各地で、山形映画祭、台湾映画祭などでも行なわれた。「映画新聞」では上野昂志氏らによる全作品批評を2年間かけて連載。そして、98年、山形の小川プロの宿舎が取り壊され、その後の小川プロの資産・借財を管理した「小川プロ作品管理協議会」も同年に解散。01年、小川監督が未完のまま遺していった映画『満山紅柿 上山〜柿と人とのゆきかい』を妻・洋子さんの製作で中国の彭小蓮監督が完成。東京、大阪などで公開された。小川監督の死後『小川紳介は語る あるドキュメンタリー監督の軌跡』(92年/映画新聞編)、『映画を穫る ドキュメンタリーの至福を求めて』(93年/筑摩書房)、フラハティの娘モニカからプレゼントされた原書を小川が翻訳した『ある映画作家の旅 ロバート・フラハティ物語』(94年/小川紳介訳/みすず書房)などが発行されている。2006年には黒木和雄、08年土本典昭、13年岩佐寿弥、14年大津幸四郎、18年たむらまさき(田村正毅)、19年彭小蓮、妻・洋子と、小川と映画を切磋琢磨した友人・仲間たちが死去。◆2022年、没後30年を迎えるのを機に、新たに発見された小川によるトリノ映画祭レポートを基にした『幻の小川紳介ノート〜1990年トリノ映画祭訪問記と最後の小川プロダクション』(シネ・ヌーヴォ編/ブレーンセンター発行)が出版。没後30年記念上映が2月にシネ・ヌーヴォとアテネ・フランセ文化センターで開催される。

小川紳介没後30年上映にあたって
◆60年代末から70年代にかけて、小川プロはとてつもなく大きな存在でした。「運動=映画」を自主製作・自主上映の形で実践し、当時の若者にとって「生きていくための指標」(原一男)が小川プロそのものでした。社会を変革したい、そんな思いの若者たちが小川プロの「三里塚」作品を待ち焦がれ、やっと見れた際は熱くスクリーンに向かって「異議なし!」を連呼。国家権力に向かって立ち上がる学生・農民を、荷担する立場から撮り続ける彼らは、表現行為の意味を実に鮮明に提示し、小川プロの存在は映画ファンはもとより生き方を模索していた学生・市民の間に大きく影響を与え、そしてその名は世界に知られるようになっていきました。◆70年代末、シネ・ヌーヴォ前身の自主上映時代に、京都の今はなき京一会館を借り切ってオールナイトで「三里塚」シリーズ全作品上映を開催。「70年代への総括」の上映会のつもりが、小川プロとの関係の出発点となりました。「農民の心を描くためには、自ら農民になるしかない」と三里塚から山形に移った彼らは、ついに83年『ニッポン国古屋敷村』を発表。その関西上映を引受け、それが84年の「映画新聞」創刊につながりました。その紙面で山形での総決算となる作品に向けての製作ルポを連載。それから2年後、ついに待ち望んでいた『1000年刻みの日時計〜牧野村物語』が完成。小川プロのスタッフたちが、山形・牧野での13年もの合宿生活のうえに生まれた、世界映画史にも類を見ない奇跡の作品を創りあげたのです。その上映のために京都で造った土と藁と丸太で出来た専用映画館「千年シアター」(建設・維新派)は、まるごと映画の世界がそのまま運ばれてきたかのような空間の劇場でした。◆その後、小川監督は各地を回り、新たなスタッフ作りに奔走。また89年に始まった山形国際ドキュメンタリー映画祭は小川監督の発案で始まり、我々小川プロの映画を上映してきた各地の自主上映グループがこぞって協力。また、小川監督から数々の映画のこと、そして人生を、“志”を教わりました。◆92年、小川監督の突然の死去は、本当にショックでした。「映画新聞」で全作品批評、また『小川紳介を語る』などを発行。そして、「千年シアター」から10年後、市民出資を得て、同じ松本雄吉さんが棟梁の「シネ・ヌーヴォ」がオープンしたのは97年のことでした。小川監督没後10年、20年と全作品上映を開催。2022年の没後30年を迎えるにあたり、この度に発見された91年の小川監督のトリノ映画祭レポートを基にした『幻の小川紳介ノート〜1990年トリノ映画祭訪問記と最後の小川プロダクション』を出版し、併せて全作品上映を行います。大好きな、そして志に溢れた小川プロの作品を、皆さんに見ていただきたいと思います。

◎「シネ・ヌーヴォ」オープンは、1997年1月18日。市民出資により、故・松本雄吉さんを棟梁に維新派の皆さんが「千年シアター」から10年、引き続き建設にあたっていただきました。「シネ・ヌーヴォ」建設を呼びかけ、前身となった「映画新聞」は、1999年11月1日号で休刊。2022年は、「シネ・ヌーヴォ」25周年を迎えます。

上映作品

青年の海 四人の通信教育生たち

青年の海 四人の通信教育生たち1966年/「大学通信教育生の記録映画」を作る会/小川紳介監督第一作/白黒/56分
監督:小川紳介/撮影:奥村祐治/ナレーション:和田周/[スタッフ]大津幸四郎、川名満雄、久保田幸雄、栗林豊彦、小林秀子、神公平、田村正毅、立石泰昭、中野了、山根誠、岩佐寿枝

◆通信教育制度改定反対闘争の中で、学ぶこと、働くことを改めて問い直す四人の通教生。その運動の行方と逡巡する心の軌跡を追って、キャメラもついに駆け回りだす。

 

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圧殺の森 高崎経済大学闘争の記録

圧殺の森 高崎経済大学闘争の記録1967年/記録映画『圧殺の森』製作実行委員会+自主上映組織の会/白黒/105分
監督:小川紳介/撮影:大津幸四郎/録音:久保田幸雄/ナレーション:和田周/[スタッフ]神公平、川名満雄、高橋英明、守随房子、渡辺重治/[製作スタッフ]吉田司、野坂治雄、那須敏宏、小野沢稔彦、佐藤恭子、栗林豊彦、小林秀子


◆高崎市立経済大学の学園闘争の記録にして、六〇年代後半の全国的な学生叛乱の予兆に満ちた自主製作映画。効果的に使われた“盗み撮り”の手法と、小川はこの後訣別してゆく。

 

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現認報告書 羽田闘争の記録

現認報告書 羽田闘争の記録1967年/上映実行委員会+岩波映画労働組合+映像芸術の会+グループびじよん/白黒/58分
監督:小川紳介/撮影:大津幸四郎/録音:久保田幸雄/[スタッフ]松本武顕、片山龍峯、田村正毅、大塚登、小林秀子、井上和夫/[協力]鈴木達夫、渡辺重治、押切隆世、篠宮喜代四、西尾清、中神賢史

◆第一次佐藤首相訪米阻止闘争の中で起こった京大生・山崎博昭の死の真相を探る。「権力との激突の際に、(キャメラは)決して警察権力と学生の間に横位置に居るべきではなかった」(小川)

 

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日本解放戦線・三里塚の夏

日本解放戦線・三里塚の夏1968年/小川プロダクション/白黒/108分
監督:小川紳介/撮影:大津幸四郎、田村正毅/録音:久保田幸雄/ナレーション:和田周/[スタッフ]神公平、松本武顕、吉田司、大塚登、栗林豊彦、関沢孝子/[製作スタッフ]小林秀子、伏屋博雄、市山隆次、野坂治雄

◆「三里塚」シリーズ第一作。「カメラの位置を、はっきりと闘っている農民の側におく、権力が弾圧を加え、機動隊が暴力の一撃を闘う農民に加えるならば、カメラはそれを正面から受けよう。そしてカメラを堂々と正面に出して農民の闘いの現場に参加していく」(小川)

 

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パルチザン前史

パルチザン前史1969年/小川プロダクション/白黒/120分
監督:土本典昭/撮影:大津幸四郎、一之瀬正史/録音:久保田幸雄/[スタッフ]堤稚雄、松本武顕、関沢孝子/[製作スタッフ]市山隆次、小林秀子、高崎啓子

◆小川の先輩にして盟友である「水俣」の作家・土本典昭が監督し、小川プロがサポートした一本。京大全共闘・パルチザン五人組のリーダー、滝田修の闘争と日常生活に迫る。製作は関西小川プロが担当。

 

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日本解放戦線・三里塚

日本解放戦線・三里塚1970年/小川プロダクション/カラー/141分/日本映画監督協会新人賞
監督:小川紳介/撮影:田村正毅/音楽:真鍋理一郎/[スタッフ]福田克彦、本間周輔、菊池信之、清水良雄、北井一夫、栗林豊彦、川島良子、久保田幸雄、浅沼幸一、吉野晃生、松本武顕、関沢孝子、富永潤/[製作スタッフ]小林秀子、野坂治雄、伏屋博雄、鈴木恒造、岩崎敬一、市山隆次、井上彰、高崎啓子、松尾イク子、落合美代子、飯塚俊男、湯本希生、田處苗樹、岩崎清次、照井克弘

◆通称『三里塚の冬』。離脱者が出る中で、空港反対派農民に徐々におとずれる疑問・空虚感。官憲との衝突を繰り返しながらも、闘いは自己自身の内面へと向けられてゆく。小川プロの転回点が鮮やかに刻まれている。

 

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三里塚・第三次強制測量阻止闘争

三里塚・第三次強制測量阻止闘争1970年/小川プロダクション/白黒/50分
監督:小川紳介/撮影:田村正毅/[スタッフ]福田克彦、清水良雄、浅沼幸一、高橋辰雄

◆自ら糞尿弾と化して測量を阻止せんとする農民たち。キャメラは文字どおり彼らに徹底的に伴走する。1週間の測量予定を激しい農民の闘いで3日間で切り上げた別名「三日戦争」。闘争が激化し、緊急に撮影・編集・上映されたシネ・トラクト。

 

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三里塚・第二砦の人々

三里塚・第二砦の人々1971年/小川プロダクション/白黒/143分/マンハイム映画祭スタンバーグ賞
監督:小川紳介/撮影:田村正毅/[スタッフ]福田克彦、湯本希生、清水良雄、原正、幡谷直子、浅沼幸一、高橋辰雄/[製作スタッフ]野坂治雄、伏屋博雄、本間周輔、見角貞利、奈良典昭、飯塚俊男、田處苗樹、岩崎清次、谷津英子、菊池信之

◆破壊されるバリケード小屋。農婦らは自らを鎖で縛りつけて後退を拒む。地下深く掘られた壕の中、ロウソクの灯の下で抵抗が続くシリーズ中の核。「代執行に反対して穴を掘っている農民は、とても科学的だ。人民の科学を映画にしたい」(小川)

 

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三里塚・岩山に鉄塔が出来た

三里塚・岩山に鉄塔が出来た1972年/小川プロダクション/白黒/85分
監督:小川紳介/撮影:田村正毅/[スタッフ]福田克彦、湯本希生、田處苗樹、岩崎清次、川上皓市、原正、白石洋子、中野千尋、浅沼幸一/[製作スタッフ]飯塚俊男、菊池信之、野坂治雄、伏屋博雄、本間周輔、見角貞利

◆反対同盟を中心に計画された滑走路使用不能大作戦。滑走路南端にあたる岩山地区に、みるみる60メートルの大鉄塔が築かれてゆく。

 

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三里塚・辺田部落

三里塚・辺田部落1973年/小川プロダクション/白黒/146分
監督:小川紳介/撮影:田村正毅/録音:久保田幸雄/[スタッフ]福田克彦、湯本希生、岩崎清次、白石洋子、中野千尋、川上皓市、原正、浅沼幸一、高橋辰雄/[製作スタッフ]飯塚俊男、田處苗樹、野坂治雄、伏屋博雄、本間周輔、見角貞利

◆“闘い”から“闘いの中の日常”へ。固い団結を誇る辺田部落に住みついたキャメラは、農民の声を聞き撮りしてゆく。その後の小川プロを決定付け、山形・牧野へ移行する分水嶺となった「三里塚」シリーズ第六作にして最高傑作。

 

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どっこい!人間節〜寿・自由労働者の街

どっこい!人間節~寿・自由労働者の街1975年/小川プロダクション/白黒/121分
構成・編集:小川紳介/撮影:奥村祐治/調査・渉外:湯本希生/詩:田中豊/作曲・唄:アシッド・セブン/題字:辰巳四郎/[スタッフ]渡辺孝明、原正、田處苗樹、湯本希生、栗林豊彦、宮松宏至、野坂治雄、高橋辰雄、斎藤諭/[製作スタッフ]伏屋博雄、白石洋子、朝日節子、飯塚俊男、福田克彦、林鉄次

◆小川プロの若手スタッフが、横浜・寿町に住みついた。寄せ場に集まる労働者=土を離れた農民の個人史が浮き上がる。「貧乏じゃ汚くならないね、人間は。貧すれば光るって、ほんとだよ」(小川)

 

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クリーンセンター訪問記

クリーンセンター訪問記1975年/小川プロダクション/企画・上山市保健課/白黒/57分
監督:小川紳介/撮影:奥村祐治/録音:久保田幸雄/[スタッフ]飯塚俊男、原正、林鉄次、見角貞利、福田克彦

◆山形県へ移り住んだ小川プロから上山市への名刺がわりの一本。新設ゴミ処理場のPR映画の体裁をとっているが、煤煙公害をめぐってキャメラは清掃作業員の視座から追求を始める。

 

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三里塚・五月の空 里のかよい路

三里塚・五月の空 里のかよい路1977年/小川プロダクション/カラー/81分
監督:小川紳介/撮影:田村正毅/短歌:椿清勝/イラスト:石毛博道/[スタッフ]福田克彦、原正、林鉄次、瓜生敏彦、川田弓子、白石洋子、渡辺孝明/[製作スタッフ]伏屋博雄、飯塚俊男、見角貞利、朝日節子、畑中広子/[協力]久保田幸雄、高橋辰雄

◆三里塚へ四年ぶりに“里帰り”した小川プロは、依然続く空港反対闘争とともに、農地を荒らす自然現象にもキャメラを向ける。鉄塔は倒され、その上を五月の“赤風”が吹き過ぎる。

 

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牧野物語・養蚕編

座頭市血笑旅 1977年/小川プロダクション/カラー/112分
監督:小川紳介/撮影:原正/[製作スタッフ]飯塚俊男、伏屋博雄/[スタッフ]渡辺孝明、瓜生敏彦、福田克彦、田村正毅、高橋辰雄、林鉄次、畑中広子、野坂治雄、川田弓子、朝日節子/[出演]木村サト、木村修一、木村初、白石洋子、見角貞利

◆「お蚕さま」を育てる小川プロを、強力なコーチ・木村サトさんが指導する。やがて養蚕作業の中からサトさんの人生の軌跡が浮かび上がる。同録8ミリをブローアップした超文化映画。

 

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牧野物語・峠

牧野物語・峠1977年/小川プロダクション/白黒/43分
監督:小川紳介/撮影:奥村祐治/[スタッフ]渡辺孝明、見角貞利、林鉄次、瓜生敏彦、久保田幸雄、白石洋子、畑中広子/[製作スタッフ]飯塚俊男、伏屋博雄/[出演]真壁仁 

◆山形在住の詩人・真壁仁の詩碑が蔵王に建った。刻まれた詩は『峠』。長回しのインタビューを通して詩人の昭和史が語られてゆく。小川紳介の真壁仁に対する親愛が伝わってくるような、心温まる小品。

 

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ニッポン国古屋敷村

ニッポン国古屋敷村1982年/小川プロダクション/カラー/210分
監督:小川紳介/撮影:田村正毅/詩:木村迪夫/音楽:関一郎/画:藤森玲子/題字:庄司孝志/炭焼技術指導:佐藤仁吉/[スタッフ]菊池信之、飯塚俊男、見角貞利、林鉄次、野坂治雄、畑中広子、白石洋子、伏屋博雄、浅沼幸一、見角貞利、広瀬里美、高橋辰雄/[協力]内山直明、漆山輝彦、尾形昌男、金井俊夫、木村初、清野和己、高橋昌昭、辰巳四郎、富田鉄之助、内藤正敏、並木菊雄、星川清親、本田強、三室清文、宮田清志、山根一郎、和田秀徳

◆稲の凶作の原因を探るサスペンスフルな科学映画の前半から、村の古老たちが自分史を語り「ニッポン国」のフシギな姿が浮上する後半へ。初めて劇場公開された代表作。ベルリン映画祭国際映画批評家賞受賞作。

 

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1000年刻みの日時計 牧野村物語

1000年刻みの日時計 牧野村物語1986年/小川プロダクション/カラー/222分
監督:小川紳介/撮影:田村正毅/音楽:富樫雅彦/照明:佐藤譲/録音:久保田幸雄、菊池信之/美術:辰巳四郎、見角貞利/タイトル:茨木俊介/スチール:内藤正敏/太陽撮影:山崎博、村上慎二/[スタッフ]伏屋博雄、飯塚俊男、見角貞利、広瀬里美、白木芳弘、林鉄次、野坂治雄、三森葉子、土屋孝三、白石洋子、畑中広子、多正行、三井輝彦、山本成人、高橋辰雄、佐藤真、石渡哲也、瀬々敬久、小川出、田中一成、中安和則、清水康利、中島清五郎、出羽保夫、木村シゲ子、笠松則通、中安和則、高原賢一、津嘉山誠、出羽保夫、大塚千恵子、竹林良房、木村初、井上静男/[出演]土方巽、宮下順子、田村高廣、河原崎長一郎、石橋蓮司、島田正吾、菊池正男、木村チウ、五十嵐益夫、井上吉右ヱ門、木村正喜、五十嵐昌雄、高橋俊郎、牧野御詠歌講中、牧野村・原口村・上山市内の人々

◆牧野村移住十三年の集大成は超弩級の最高傑作にして、合宿生活を続けながら製作した小川紳介映画渡世の総決算となる。稲の中に宇宙が広がり、さまざまな出土品は村の古層を現前させ、ドキュメンタリーとフィクションはボーダーレスとなる。

 

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京都鬼市場・千年シアター

京都鬼市場・千年シアター1987年/小川プロダクション/カラー/18分
監督:小川紳介/撮影:牧逸郎/[スタッフ]荒川徹、大沢佳子、安井喜雄、笹岡保、伏屋博雄/[千年シアター]映画新聞、小川プロダクション/棟梁:松本雄吉/設計:稲村純/製作:景山理、飯塚俊男、伏屋博雄/現場進行:高岡茂/[建設スタッフ]日本維新派、シネマ・ルネッサンス、シネマ・リベルテ、関西の映画・演劇人、若者、プラネット映画資料図書館、小川プロダクション、スタジオ・デルタ、映画新聞

◆1987年夏、土・藁・葦・丸太で出来た『1000年刻みの日時計』専用の映画館が京都に出現。この劇場を建設し、命を吹き込んだ若者たちを小川紳介が関西のスタッフとともに描く。

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映画の都 山形国際ドキュメンタリー映画祭89

映画の都 山形国際ドキュメンタリー映画祭891991年/小川プロダクション/企画・山形市/カラー/93分
構成・編集:小川紳介/監督:飯塚俊男/撮影:大津幸四郎、加藤孝信/ナレーション:河原崎長一郎/[スタッフ]伏屋博雄、浅沼幸一、桝谷秀一、栗林昌史、田村正毅、白石洋子、阿部ひろ子

◆一九八九年秋、第一回山形国際ドキュメンタリー映画祭に世界各地の映画人が集まった。映画祭の顔として駆け回る小川紳介。一方アジアの作家たちは、タヒミック起草の「映画宣言」を採択して意気あがる。

 

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特別上映作品

映画作りとむらへの道

映画作りとむらへの道1973年/福田克彦/白黒/53分
監督・編集・録音:福田克彦/撮影:川上皓市/アドバイザー:浅沼幸一

◆元小川プロのスタッフだった故・福田克彦監督による小川プロについての映画。三里塚から山形へという小川プロの重要な時期を捉えている。福田氏はその後も三里塚に残り、98年死去。遺稿集『三里塚アンドソイル』を出版している。

 

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小川プロ訪問記

小川プロ訪問記1981年/カラー/61分
監督:大重潤一郎/撮影:堀田泰寛/出演:大島渚

◆「土」がテーマの日本デザイン会議仙台大会で上映するために、主催者の大島渚監督と大重潤一郎監督が、牧野の小川プロを訪れ、大急ぎで作り上げた作品。一部は『満山紅柿 上山』でも引用されている。

 

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満山紅柿 上山〈かみのやま〉〜柿と人とのゆきかい

満山紅柿 上山〈かみのやま〉~柿と人とのゆきかい2001年/上山名産紅干柿の記録映画を作る会+白石洋子+プラネット映画資料図書館/カラー/90分/配給:プラネット
[第1期撮影]監督:小川紳介/助監督:飯塚俊男/撮影:田村正毅/現地録音:菊池信之 [第2期撮影]監督:彭小蓮/撮影:林良忠/現地録音:菊地進平/現場制作:尾形充洸/通訳:劉含発/製作協力:安井喜雄 [仕上げ]編集構成:彭小蓮/編集助手:見角貞利/整音:久保田幸雄/音楽:縄文太鼓

◆小川紳介監督の未完の映画を中国の女性監督・彭小蓮(ペン・シャオリャン)監督が完成。あの『1000年刻みの日時計〜牧野村物語』のもうひとつの物語。山形特産のつるし柿を巡って、知恵と工夫に満ちた人々の息づかいの記録。

 

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イベント

★2/6(日)13:05『三里塚の夏』上映後トーク
ゲスト:上野昻志さん(映画評論家・批評家)

★2/7(月)12:20『満山紅柿』上映後対談
ゲスト:上野昻志さん(映画評論家・批評家)×影山理(シネ・ヌーヴォ代表)

入場料金

当日券

一般1,500円/学生・シニア1,100円/会員・高校生以下1,000円
当日5回券6,000円/シニア5回券5,000円/会員5回券4,500円

※ご鑑賞当日はオンライン予約の方は専用窓口で発券、当日券は受付窓口 で指定席をお選びの上ご購入ください。開始時間の10〜15分前からご入場いただきます。
前売券なども受付にて座席指定券とお引き換え下さい。1週間前よりオンライン&窓口でご購入いただけます(ただし、前売券は窓口のみ。)
<全席指定席>となります。満席の際はご入場出来ませんので、ご了承下さい。
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