クリストフ・シュリンゲンジーフ(Christoph Schlingensief) 略歴
◆1960年ドイツ・オーバーハウゼンで薬局を営む父と看護師の母親の一人っ子として生まれる。一家は敬虔なカソリック教徒で子供時代は教会の堂役を務める。8歳から仲間と8ミリ映画を撮影。1984年長編映画デビュー。1989-92年「ドイツ三部作『アドルフ・ヒトラ―100年』『ドイツ チェーンソー大量虐殺』『テロ2000年』」で一躍脚光を浴びる。1993年ベルリン・フォルクスビューネ劇場にて『キリスト教民主連盟100年・無限の遊び』で舞台演出家としてもデビュー。以来ドイツ語圏の劇場で演出家として作品を多数演出。障碍者、一般人を多く起用し、また映像を多用した独自の舞台を作り上げた。アクション芸術家としての彼は、ホームレス向けの「宣教所」を設置したかと思えば、失業者や障碍者を候補者とする新政党を結成したり、亡命希望者を使ったリアリティーショーを仕掛けるなど、社会を挑発して常にメデイアを賑わせた。また2003年ヴェネチア・ビエンナーレで「不安の教会」を発表、前衛美術家としても世界中に知られるようになる。ユーモア溢れるチャーミングな人柄でテレビ出演も多く、その芸術は誰よりも挑発的で理解困難でありながら、同時にお茶の間の人気者という類希なる存在となる。2004年バイロイト音楽祭『パルジファル』の意表をつく演出では大きな物議を醸す。以降オペラ演出家としても活躍。2008年に肺癌と診断され、片肺摘出。以降自らの闘病と死をテーマに演劇・オペラ作品を展開すると同時に、アフリカのブルキナファソで「アフリカ・オペラ村」建設を計画、建築に着工。2010年8月21日、49歳で他界。2011年、ヴェネチア・ビエンナーレでは、彼の作品を展示したドイツ館が金獅子賞を授賞。2014年ニューヨーク近代美術館にて初の回顧展が開催。その早すぎる死を惜しむ声が世界中で後を絶たない。
上映作品
カルト映画監督であり、前衛演劇・オペラ演出家であり、アクション芸術家であり、前衛美術家であり、テレビの人気者でもあった、鬼才マルチ・アーティスト。過激で挑発的でありながらユーモアに溢れた彼の芸術活動は、世間を賑わせ、その大きな反応自体が社会の抱えている矛盾や無意識にある不平等を暴き出す映し鏡となっていた。ヨゼフ・ボイス以来の前衛芸術家、ファスビンダー以来のアンファン・テリブルとドイツで言われ、誰と比較することもできない大仕事をしたにも関わらず、この伝説的アーティストは日本できちんと紹介される前に逝ってしまった。今回は関西で初めて彼の代表的5作品を紹介!
メア・クルパ(我が贖罪) (Mea Culpa)舞台作品記録映像
2009年/オーストリア/120分/ドイツ語(日本語字幕つき) 舞台演出:クリストフ・シュリンゲンジーフ 配給:Burgtheater
◆まだだ・・・まだ行きたくない。ドイツ一番のお騒がせ過激派アーティストが肺癌に冒された!「パルシファル」、療養サナトリウム、アフリカ・オペラ村建設計画、キリスト教、家族友人との別れ・・芝居と映像の多層的ラビリンスを100人以上のキャストで実現したシュリンゲンジーフの集大成的大舞台作品。彼の死後もウイーンの他、ミュンヘン、ハンブルク、アムステルダムと招聘され絶賛された。「彼のようなアーティストはもう二度と現れないだろう」と。ファスビンダー映画の女神達マーギット・カーステンゼン、イルム・ヘルマンも出演!ウィーン・ブルク劇場制作。日本語訳は、彼との仕事がきっかけでドイツに移住し、当作品にも出演した原サチコ。
時のひび割れ (Knistern der Zeit – Christoph Schlingensief und sein Operndorf in Burkina Faso)
2012年/106分/ドイツ語・フランス語(日本語字幕つき) 監督:シュビレ・ダーレンドルフ 配給:Filmgalerie 451
◆シュリンゲンジーフが肺癌に冒されたというショッキングなニュースの後に、更に人々を驚かせた「アフリカでのオペラ村」建設計画。長年アフリカに魅了されていた彼は「アフリカから学ぶ」をモットーに、学校、病院、劇場、映画館等の複合施設「オペラ村」を計画。このドキュメンタリーは2009年から11年に渡るブリキナファソの首都ワガドゥグー郊外での場所探しから小学校開校式までを追い、闘病中にも関らず実現に向けて様々な障害を越えていくシュリンゲンジーフの精力的な姿を収めている。尚、彼の死後彼の未亡人によって計画は引き継がれ、現在オペラ村ではすでに小学校と病院が運営されている。
外国人よ、出て行け!(Ausländer Raus! Schlingensiefs Container)
2001年/オーストリア/90分/ドイツ語(日本語字幕つき) 監督:パウル・ポエット 配給:Filmgalerie 451
◆2000年ウィーンのど真ん中、観光名所であるウィーン歌劇場の真っ正面に設置されたコンテナハウス。屋根に巨大な看板「外国人よ、出ていけ!」。コンテナの中には外国からオーストリアへの亡命希望者が12人滞在。人々は小窓から彼らの生活を監視し、毎日一人ずつ国外追放される人を選ぶ。最後まで残った一人がオーストリア滞在許可を得る事が出来るというわけだ・・有名TV番組のパロディであるこのインスタレーションの前には、日増しに集まる人々が増え、抗議する人との激しい論争が繰り広げられた。多数のメディアや市民を巻き込み「芸術」のボーダーを超え歴史的事件となった伝説のアクション。
失敗をチャンスに (Scheitern als Chance)
1999年/94分/ドイツ語(日本語字幕つき) 監督:アレクサンダー・グラセック、シュテファン・コリント 配給:Ahoi Media
◆1998年シュリンゲンジーフが選挙に立候補した!ドイツ総選挙に向けて「チャンス2000」党を設立、その選挙運動を追うドキュメンタリー。スローガン「自分に投票しろ!」の下、失業者、知的障害者、俳優等がこの党の国会議員候補となり、ドイツ全国で奇想天外な街頭演説アクションを展開。特にコール元首相の別荘前の湖に大勢の失業者と飛び込み、首相の別荘を溺れさせようとしたアクションは必見。本気で選挙に勝ちたいのか冗談なのか真意が不明なまま活動は熱狂的に支持され、結果的にベルリンでは驚異的な得票数を得た。
友よ!友よ!友よ!(Freund! Freund! Freund!)
1997年/73分/ドイツ語(日本語字幕つき) 監督:アレクサンダー・グラセック、シュテファン・コリント 配給:Ahoi Media
◆1997年ハンブルクでの「宣教所」設置アクション『パッション・インポシブル―ドイツのための7日間緊急通報』のドキュメンタリー。ハンブルク・ドイツ劇場に作品制作依頼されたシュリンゲンジーフは一週間にわたってハンブルク中央駅前に「宣教所」を設置。そこには俳優のみならずホームレス、ジャンキー、障碍者、娼婦、あらゆる人々が大勢集まり、議論をしたり演奏したり炊き出しのご飯を食べたり。誰もが演説出来るこの場所の議論が最終的には市長をも巻き込み、ハンブルク市民に一大センセーションを与えた。現在もその意志を継いで有志グループ「ミッション・ハンブルク」は日々炊き出し等の活動を続けている。
イベント
8/11(火)19:00 ゲスト:原サチコさん
※10年に渡りシュリンゲンジーフの作品に関わってきた原サチコが、
プライベート・インタビュー映像「クリストフと私」を観ながら作品制作と彼自身について語ります。
8/12(水)20:05 ゲスト:原サチコさん×ウルリケ・クラウトハイムさんによるトークショー
原サチコ 略歴
神奈川県生まれ。上智大学ドイツ語学科卒業。1984年より演劇舎螳螂で演劇を始め、後にロマンチカ等で活躍。1999年ベルリンでのクリストフ・シュリンゲンジーフとの仕事をきっかけにドイツ移住を決意。2004年オーストリア国立ウイーン・ブルク劇場専属となったのをきっかけに、ハノーファー州立劇場、ケルン市立劇場とドイツ語圏公立劇場唯一の日本人専属俳優として活躍中。現在ハンブルク・ドイツ劇場専属。
ウルリケ・クラウトハイム 略歴
ドイツ・ヴォルムス生まれ。2000年、ライプツィッヒ音楽・演劇大学でドラマトゥルギー科の卒業後、ライプツィッヒのSchaubühneLindenfels劇場で演劇部門のキュレーターを務める。2003年~1年半、テュービンゲン大学日本語集中プログラム参加、京都の同志社大学で日本語を学ぶ。その後、愛知万博ドイツ館・文化担当、音楽事務所「東京コンサーツ」で制作業務、「フェスティバル/トーキョー」海外制作を担当。2013年からフリーランスとして活動中。2014年、フェスティバル/トーキョーで映像特集「痛いところを突くークリストフ・シュリンゲンジーフの社会的総合芸術」を企画。
入場料金
前売券
前売1回券1,200円 ※劇場窓口でのみの販売です。
当日券
一般1,500円/学生1,200円/シニア1,100円/会員・ドイツ文化センター受講生1,000円
※連日朝より当日分の整理番号つき入場券の販売を開始します。
ご入場は各回10〜15分前より整理番号順となりますので、前売券なども受付にて入場券とお引き換えください。