田中徳三略歴
1920年9月15日、大阪市船場の帯問屋に生まれる。
関西学院大学文学部に進学したが、戦時下の繰り上げ卒業で大阪の歩兵連隊に入隊。終戦をスマトラ島で迎え、1年半の捕虜生活を経て奇跡的に生還。47年11月、大映京都撮影所監督部に助監督として入社。森一生、溝口健二『雨月物語』などの大作につき「グランプリ助監督」ともいわれる。ほかに、市川崑『炎上』、伊藤大輔、吉村公三郎などの助監督につく。映画観客動員数が頂点に達した58年に、SPもの『化け猫御用だ』で監督デビュー。まさに映画の黄金期、新進監督として大映京都を根城に時代劇映画を作り続ける。市川雷蔵の『お嬢吉三』『濡れ髪三度笠』などを経て、60年には早くもオールスター映画『大江山酒天童子』を任される。同年の『疵千両』で監督新人協会作品賞。そして翌年勝新太郎を一躍スターに押し上げた「悪名」シリーズ第1・第2作を発表。映画の面白さとともに男女の情感に溢れ、京都市民映画祭監督賞受賞など絶賛される。63年には「眠狂四郎」シリーズ第1作を演出し、その他「座頭市」「兵隊やくざ」など大映の看板シリーズを背負う。以後、71年に大映が倒産するまで、年間数本ものプログラム・ピクチャー4を作り続ける。監督第1作以後の大映映画監督渡世13年間で49本を発表。まさに職人監督として八面六臂の活躍だった。以後フリーとなり、テレビ作品「必殺」「桃太郎侍」「座頭市物語」「遠山の金さん」「祭りばやしが聞こえる」シリーズなどで活躍するが、映画は天理教の教祖・中山みきの生涯を描いた『扉はひらかれた』(75年)1本のみ。96年、日本映画批評家大賞プラチナ大賞を受賞。2006年3月、32本の作品を一挙上映した「RESPECT田中徳三〜プログラム・ピクチャーの黄金期を駆け抜けた映画監督」をシネ・ヌーヴォにて開催。2007年夏、湯布院映画祭で「大映京都」が特集され、かつての大映の仲間とともに参加。また同夏、河内家菊水丸に請われ『田中徳三監督 少年河内音頭取り物語』を久々に監督。11年7月、をの完成披露上映では観客の盛大な拍手に感慨無量。しかし、11月下旬、自宅で突如体調を崩し、同年12月20日午後7時40分、脳出血で逝去。享年87。2008年2月2日、「田中徳三監督とのお別れ会」が、母校の関西学院会館で催された。2018年、監督を支え続けた妻・里子さんも死去。2020年9月、生誕100年を迎えた。