大林宣彦監督プロフィール
◆1938年1月、広島県尾道市生まれ。幼い頃から家にあった家庭用映写機で映画を楽しむ。6歳にして35ミリフィルムに手描きしたアニメで楽しむ。映写機を玩具として映画作りで遊びながら成長し、56年に上京し成城大学文芸学部芸術コース映画科に入学。8ミリや16ミリの映画を作る。その頃知り合った高林陽一、飯村隆彦とともに、企業のものだった映画が、個人でも作れることを体現し、日本におけるアンダーグラウンド映画の草分け的存在となった。64年に高林陽一、飯村隆彦、石崎浩一郎、金坂健二、佐藤重臣、ドナルド・リチー、足立正生らと実験映画製作上映グループ「フィルム・アンデパンダン」を結成し、ホールで上映会を実施。66年には『EMOTION=伝説の午後・いつか見たドラキュラ』を発表。映画に見せられた大林の心情を吐露する映画であり、大林の名を知らしめるとともに、後の世代に大きな影響を与える作品となった。当時は日本におけるテレビの草創期にあたり、その後はCMディレクターとして活躍。様々な傑作CMを手掛け、数々の国際CM賞も受賞、日本のテレビCMを飛躍的に進化させ、「CM界の巨匠」の異名をとる。◆77年、東宝に迎えられ初めての商業映画『HOUSE/ハウス』を監督。映画界に風穴をあけるかのごとく、それまでの映画と異なり、ソフト・フォーカスを用いたCF的映像、実写とアニメの合成など、さまざまな特撮を使って見せる華麗でポップな映像世界は大反響を巻き起こす。当時、撮影所システムが崩壊する頃であり、助監督経験なしでの初監督作品も話題となった。続く『瞳の中の訪問者』(同年)とでブルーリボン賞新人賞。翌年には当時のドル箱コンビ百恵・友和主演作『ふりむけば愛』を監督するなどヒット作を連発。82年、自身の郷愁を込めて尾道を舞台とした『転校生』を発表。『時をかける少女』、『さびしんぼう』と合わせ“尾道三部作”として多くの熱狂的な支持を集める。また、薬師丸ひろ子(『ねらわれた学園』)に始まり、原田知世(『時をかける少女』)、富田靖子(『さびしんぼう』)など新人アイドル映画を手掛け、「アイドル映画の第一人者」とも称される。撮影所育ちではない、8ミリ、16ミリの個人映画から出発しその先駆者となり、CMディレクターを経て、劇場映画への道を切り拓いてきたパイオニアであり、それまでの映画とは異なる奔放で実験的なテクニック、ソフトで巧みな語り口、映画としての面白さを手を変え品を変え追求してきたその歩みはまさに「映像の魔術師」の呼称が相応しい。◆その後も『廃市』(84年)、『野ゆき山ゆき海べゆき』(86年)、88年の映画賞を独占した大人のファンタジー『異人たちとの夏』、そして「新・尾道三部作」(91年の『ふたり』(1991年)、95年の『あした』、99年の『あの、夏の日~とんでろ じいちゃん~』)、演出・撮影・録音の大胆な実験を試みた『北京的西瓜』(89年)、青春映画の傑作『青春デンデケデケデケ』(92年)、当時の最先端技術を導入した『水の旅人-侍KIDS-』(93年)、型破りの“小百合映画”『女ざかり』(94年)など多彩な作品を作り続けた。◆特定秘密保護法、安保法制が成立し、戦争への危惧が高まるばかりの近年は、「いまの空気は戦争が始まる時に近いのです」として戦争を体験した世代として「戦争はイヤだ」の強烈な思いから『この空の花―長岡花火物語』(2011年)、『野のなななのか』(2014年)を発表。その<戦争三部作>の末尾を飾る『花筐/HANAGATAMI』がこのたび完成。『花筐/HANAGATAMI』は敬愛する檀一雄原作であり、『HOUSE/ハウス』を撮る前から映画化のためシナリオが書き上げられていた。様々な夢を映画化してきた大林監督にあって、『花筐/HANAGATAMI』は40年ぶりの終生の夢を実現させた映画となった。大阪では1月27日から公開。2018年1月、大林宣彦監督生誕80年を迎える。