シネ・ヌーヴォ20周年プロジェクト |
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2017年1月18日、シネ・ヌーヴォは誕生から20周年を迎えました。この20周年をリニューアルした劇場で迎え、さらなる20年に向けて新たな映画を皆さまと迎えることが出来ることへの思いを託し、「MotionGallery」でクラウドファンディング「シネ・ヌーヴォ20周年プロジェクト」をスタートしました。その結果、私たちの想像を遥かに超える800万円の資金が集まり、2016年12月にリニューアル工事を行なうことができ、2017年1月18日、晴れて20周年の日を迎えることが出来ました。ここに、その20周年プロジェクトの顛末をご報告しますと共に、ご支援いただきました皆さま、またさまざまご協力いただきました多くの皆さまに深く感謝し、御礼を申し上げます。シネ・ヌーヴォは、これからも皆さまとともに上映し続けてまいります。 |
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シネ・ヌーヴォ誕生から20周年! |
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1997年1月18日に開館した大阪のミニシアター「シネ・ヌーヴォ」。長きにわたりまして、皆様からご支援・ご愛顧、そしてご来館をいただき、誠にありがとうございます。おかげさまで、今年1月に20周年を迎えることができました。
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特集上映と内外の異色作のロードショー上映を2本柱に、これまでに上映した作品は6000本にものぼります。関西屈指の上映本数で、多彩・多様な映画を上映してまいりました。とりわけ特集上映では皆様から大反響をいただいております。オープンした1997年に「侯孝賢レトロスペクティブ」「ジャン・ルノワール映画祭」、翌年の「キアロスタミ映画祭」「ノルシュテイン祭」「ロシア映画秘宝展」に続き、同年夏には第1回日本映画大回顧展として「成瀬巳喜男レトロスペクティブ」を開催。劇場で上映可能なすべての成瀬作品計40本を一挙上映し、関西の映画館としては初の本格的な作家特集となり、満席続出の大反響となりました。以来、毎年夏は日本映画の大特集を企画、翌年は「追悼・宮川一夫」45本、2001年は「川島雄三 乱調の美学」40本、2002年は「女性映画の名匠 中村登の世界」38本、2003年は「映画監督・深作欣二」50本というふうに、それは19年が経った今年も同様に開催し続けてきています。
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観るからには1本でも多く! それは映画ファンの欲望そのもの。多様な作品の中から、その監督ならではの世界を発見し、ある映画を観ることで次の映画への深い理解にもつながる、そんな映画ファンの思いを実現する場として開催してまいりました。同時に、若き映画ファンが初めてその映画を観る発見の場としても、これまで開催を続けております。「映画監督・深作欣二」の時は、監督をお招きするつもりが突然の逝去となり、また東京で同時開催していた三百人劇場さんと一緒に追悼する思いからニュープリント費用に採算をはるかに超える予算をかけ、結果は膨大な赤字となり、一触即発の危機にまでなってしまいました。しかし、「観たい! 観せたい!」一心で、その後も1本でも多い特集上映を開催してまいりました。
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その後の特集上映は「高林陽一の世界」「中平康レトロスペクティブ」(共に03年)、「生誕百年・小津安二郎の藝術」(04年・37本)、「遊撃の美学 映画監督・中島貞夫」(04年・20本)、「渋谷実と前田陽一」(05年・23本)、「土本典昭フィルモグラフィ展」(05年・46本)、「映画監督・野村芳太郎」(06年・25本)、「松竹110周年祭」(06年・43本)、「追悼 映画監督・黒木和雄」(07年・28本)、「新藤兼人リスペクト」(07年・37本)、「追悼 映画監督・市川崑」(08年・60本)、また洋画では「コリア映画祭2000」(40本)、「ベルイマン映画祭」(03年・28本)、「中国映画の全貌」(04年・48本)と特集を続けています。
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他に特集した企画は、沢島忠(20本)、豊田四郎(20本)、石井輝男(18本)、今村昌平(全作品)、キェシロフスキ(29本)、田中徳三(15本)、岡本喜八(39本)、宮島義勇(23本)、小林正樹(13本)、今井正(25本)、森繁久彌(50本)、浪花の映画大特集(50本)、黒澤明(全作品)、谷口千吉(20本)、高峰秀子(34本)、淡島千景(18本)、増村保造(30本)、小國英雄(23本)、羽仁進(20本)、他に小川紳介、寺山修司、井川徳道、浦山桐郎、小栗康平、原一男、李香蘭、原節子、織田作之助、若尾文子などなど多種多彩。そして昨年の夏は「生誕百年 映画監督・鈴木英夫の全貌」で23本を上映し、隠れた名匠の存在に大きな反響をいただきました。
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日本映画大回顧展などの特集上映は、三百人劇場さんのご協力をいただいた企画でした。特集上映をする意義もご享受いただきながらも、三百人劇場さんは2006年に閉館。以来、その志を受け継ぎながら、シネ・ヌーヴォ単独で企画を続けています。 |
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シネ・ヌーヴォの歴史 |
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シネ・ヌーヴォの前身は、70年代からの自主上映時代にさかのぼります。「シネマ・ダール」のグループ名で大阪・京都での上映活動が原点でした。その頃、各地で自主上映活動が活発に行なわれており、全国の仲間たちと自主上映の組織体を結成しました。そこで『ポケットの中の握り拳』『結晶の構造』『バリエラ』などを自主輸入・自主配給し、大阪での上映を私たちが行ないました。その中で、交流を深めた仲間たちは、その後、各地でミニシアターを始め、そのネットワークは今もシネ・ヌーヴォのひとつの財産となっています。 |
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そして、1983年に小川紳介監督『ニッポン国古屋敷村』上映を機に、マイナーな映画の存在を少しでも広く知らしめる必要性を痛感し、1984年に月刊「映画新聞」を創刊しました。ドキュメンタリーやアート映画の紹介、内外の映画祭のレポートなどをいち早く取り上げ、1991年には日本映画ペンクラブ奨励賞、大阪府文化助成などを受けています。
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90年代に入ると、アート系の映画が台頭し、各地でミニシアターが誕生していきます。一方で、映画環境も変化し、ミニシアター系のアート映画やドキュメンタリー作品も各媒体で紹介されるようになり、当地・大阪でもそれらの映画を上映する場が必要になってきました。情報で知っているにもかかわらず、その映画が見られないという状態になってきたのです。また、私たちも95年の阪神淡路大震災で映画館が被災し、閉館していく事態に遭遇し、映画館の必要性を実感しました。同時に、アメリカからシネコンが日本に上陸し、このままでは物量で遥かに勝るハリウッド映画が日本映画を駆逐するのではないかという危機感を持ったのでした。 |
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「映画館をつくろう!」、と映画新聞で呼びかけたのは、創刊から12年目の第133号(1996年11月号)でのことでした。 |
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《私たちとともに、映画館をつくりませんか。多様な映画を見られる映画館を建設することは、関西の映画状況の発展に寄与するばかりでなく、明日の映画の未来への大きな貢献となることと確信しております。また、そこで出会える一本の作品が、私たち一人ひとりの今を大いに輝かせてくれるものと信じております》(第133号の呼び掛け文より) |
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そして映画館をつくるために運営会社を設立し、そこに1口10万円で出資を呼び掛けたのでした。まだNPOもない時代、商法による株式会社をつくり、その株主を募集することにしたのです。
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1996年12月7日、新映画館「シネ・ヌーヴォ」誕生の記者会見を開きました。
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その反響はすさまじく、翌号(12月号)では1800万円の出資で株式会社発足が決定したとの報告を載せ、12月2日に株式会社ヌーヴォが正式に発足。そして、松本雄吉さん率いる劇団・維新派のメンバーが、年末・年始を返上し、閉館されていた映画館を改装し、非日常空間としての“水中映画館”をコンセプトに、どこにもないアート映画館が誕生したのでした。
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1997年1月15日、市川準監督、桃井かおりさんをお招きし、『東京夜曲』を杮落とし作品としてシネ・ヌーヴォはスタートを切りました。一般上映は1月18日、マイケル・ホフマン監督『恋の闇 愛の光』でロードショー上映が開始されました。広く市民の皆様による出資で出来上がった市民映画館として、皆様の観たい映画にこだわることが運営の柱でした。
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《本当に観たいと思う映画を、いい環境のなかで観る……これがシネ・ヌーヴォの基本です。そして、多様な映画を上映するとともに、さまざまな情報を発信する場、人々が集う拠点としてシネ・ヌーヴォは生まれました。関西はもとより、東京・北海道・九州など全国各地の市民の出資により誕生したシネ・ヌーヴォは、観客の「観たい映画」にこだわります。(中略)映画はその誕生から百年を過ぎ、第2世紀を迎えました。文化として、アートとしての映画への関心が、かつてないほど高まっていますが、一方で海外の直営館が日本で興行を開始するなど、映画はまさに新たな時代に突入したといえます》(オープニングチラシより) |
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「シネ・ヌーヴォ」の命名は、映画の新しい世紀(ヌーヴォ)を切り拓きたい、との思いから。映画の海原へ船出したシネ・ヌーヴォも、紆余曲折を経ながらもアッという間の歳月で、遂に20周年を迎えるまでに至りました。 |
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シネ・ヌーヴォの特徴 |
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オープン当初は、3年もったら上出来、などと揶揄されながらも、今日まで上映を続けてこられた一番の原因は、お客様からご支持をいただけたことですが、多くの映画人の方々からもご支援をいただき、また、数多くの皆様のご協力をいただけた賜物です。
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劇場顧問として様々なご支援をいただいたのは、映画評論家の上野昂志さん、そして市川準監督、小栗康平監督、黒木和雄監督、原一男監督。幾度もご来館いただき、講演などをお願いしました。そして、元大阪スポーツ代表の映画評論家・浅野潜さんには、開館当初から昨年までという長きにわたって毎月「映画を楽しむ会」をご主宰いただき、映画のお話を聞かせていただきました。また、視覚障害者にも映画を楽しんでいただきたいとの趣旨から「字幕朗読上映会」を、耳の不自由な方向けには「日本映画字幕付き上映」をオープン当初から開催。多彩な映画を多様な皆様にご覧いただきたいとの思いからでしたが、時代の先駆けとして現在のバリアフリー上映にもつながる試みでした。これも多くの皆様にご協力いただけた賜物です。「シネクラブ合評会」もオープン当初から現在まで途切れることなく開催してきています。今では会員の皆様の主体的な運営で開催しており、映画について話し合える貴重な場として、また会員同士の交流の場として定着しております。
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維新派がつくった映画館 |
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シネ・ヌーヴォの場内は“水中映画館”がコンセプトのアート映画館となっています。その施工にあたったのは劇団・維新派で、その棟梁は維新派座長の松本雄吉さんでした。その原点となったのが千年シアターです。
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映画新聞時代の1987年7月、京都で映画『1000年刻みの日時計』ロードショー専用の映画館として「千年シアター」(100席)をオープンしました。1カ月の興行終了とともに解体したこの映画館の建設にあたっていただいたのが、松本雄吉さんでした。土と藁と丸太で出来た千年シアターは、小川紳介監督作品『1000年刻みの日時計』の舞台である山形県上山市牧野村の世界をそのまま持ってきたようなロマンあふれる手作りの劇場でした。しかし、土と藁と丸太で出来たがために、完全な暗闇とはならず、いつか暗闇の映画館をつくることが、松本さんにとってもひとつの夢となったと、その後お聞きしました。図らずも、それから10年後、私たちと松本さんの夢が重なり合う日が来ました。それがシネ・ヌーヴォだったのです。 |
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玄関のブリキで出来たバラのオブジェの造形物は、今やシネ・ヌーヴォ名物となっています。このオブジェはオープン当初から少し錆びさせてあります。そうさせたのも松本さんの思いから。それは、「僕たちは無機物としての館内をつくっただけだ。それを有機物にしていくことが君たちの仕事だよ」。この松本さんの言葉は、今も私たちの座右の銘です。松本さんは、2016年6月18日に69歳で死去。維新派の公演は、その都度、劇場を建設し、公演が終われば劇場も解体。唯一残るこの劇場を、私たちはこれからもより人間くさいものへと育て続けたいと思っています。 |
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そして、シネ・ヌーヴォ20周年 |
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今年、満20歳を迎えたシネ・ヌーヴォですが、山あれば谷ありではなく、谷また谷の20年でした。皆様にご支持いただいている特集上映も、たくさんの作品を上映することから費用がかさみ利益はなく、良くてトントン。作品を減らせばという声もあるのですが、それでは本末転倒というもの。またロードショー作品は赤字続きで、どうにか上映し続けてこられたのが実情です。さらに実態は、映写技師残酷物語。重いフィルムを狭い階段から運び上げ、一本一本フィルムを点検・編集し、映写・音響チェック、調整する毎日です。この映写技師の負担のほか、経常的な赤字からスタッフを削減せざるをえず、少ないスタッフが支えてくれた20年とも言えます。
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97年のオープン以来、数回の改装工事を行ないました。オープン直後に35ミリ映写機が不調となり新規購入、また99年には地下水があふれ、その改修のため休館して工事、2005年には座席の全面リニューアル工事、あわせて女子トイレの洋式化を実施。また2006年には2階に「シネ・ヌーヴォX」をオープン。30席のミニスペースながら「未知なる映画との出会い」を旗印に、ジャンルにとらわれず、より多様な作品を上映してまいりました。また、映画がフィルムからデジタルへの移行期に、デジタル映写機も購入しています。より観やすく、多様な映画を上映していくための改修でしたが、経常的な赤字体質の中、これらの費用は、その都度、増資を行ない、まかなってきました。度重なる増資で、どうにか実現してこられたのですが、しかし、増資も限界になってきています。一方、これまでにシネ・ヌーヴォにお越しいただいたゲストの皆様は数百人にのぼります。シネ・ヌーヴォのロビーの壁には、もう書き込むスペースがないほど、来館された映画関係者の署名があります。この20年で、すでに亡くなった映画人も多く、その署名の数々は、今や私たちの貴重な財産と言えます。それらの人々との交流の上に今日があるのだと、いま改めて感じています。 |
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皆様にお願い。20周年を前に実現させたいこと |
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これからの20年に向けて、シネ・ヌーヴォで3度目となる改装工事を行なうことができればと思い、この<20周年プロジェクト>をスタートしました。 |
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●場内のリニューアル工事
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●トイレの改装工事
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●看板取り替え、玄関のオブジェ補強工事
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◎「Motiongallery」クラウドファンディング 募集期間 |
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2016年9月18日(月)→12月26日(火) |
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◎「MotionGallery」クラウドファンディング 募集結果 |
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支援総数:コレクター 316人 671万円 |
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3カ月あまりに渡ってクラウドファンディングを実施。この間、皆さまからのご支援が次々と寄せられ、毎日が感激の日々でした。 |
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◎シネ・ヌーヴォ リニューアル工事 |
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工事期間:2016年12月19日(月)〜22日(木)4日間
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(工事内容) |
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2.トイレまわり |
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3.入り口、看板、その他 |
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<工事について>
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また、工事に合わせて、事務所の整理なども行ないました。オープンから20年が経過し、膨大なポスターや資料の整理も行なうことができました。足の踏み場もない事務所が、この機会にすっかり整理することが出来たことも付け加えさせていただきます。
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◎シネ・ヌーヴォ リニューアルオープン |
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12月19日から4日間の工事を無事終了し、快晴の12月23日(金・祝)、リニューアルオープンいたしました。 |
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◎そして、シネ・ヌーヴォ20周年の日を迎えることができました |
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20年前のこの日がそうであったように、2017年1月18日(水)も天候に恵まれ、シネ・ヌーヴォ20周年を晴れて迎えることができました。 |
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◎シネ・ヌーヴォ20周年記念パ—ティ開催 |
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シネ・ヌーヴォ20周年を共に喜んでいただきたく、1月21日(土)15時からシネ・ヌーヴォ近くの会館を借り切り、シネ・ヌーヴォ20周年記念パーティを開催させていただきました。シネ・ヌーヴォの株主の皆さま、お世話になった皆さま、そしてクラウドファンディングのコレクター特典の皆さまなどをご招待し、地元の名物料理(吉林菜館の中華料理、コロッケ、お寿司などなど)いっぱいでお客様をお迎えしました。すると、私たちの予想を超える200名もの皆さまで超満員。熱い熱気に満ちた、またいっぱいの祝福を受けた楽しいひとときとなりました。 |
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◎「MotionGallery」クラウドファンディング |
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今回のシネ・ヌーヴォ20周年プロジェクトを行なうことが出来ましたのも、クラウドファンディングでご支援いただいた皆さま、またネットで拡散いただいたり、影日向なくさまざまなご支援・ご協力をいただいた皆さまの賜物です。 |
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753 |
寒川直美
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山本嘉博ゆえひろき |
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(五十音順) |
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その他多くのみなさまのご支援をいただきましたことをご報告させて頂きます。 |
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◎そして、20周年を越えて |
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以上が「シネ・ヌーヴォ20周年プロジェクト」のご報告です。20年前にシネ・ヌーヴォに命を吹き込んでいただき、そして今、新たに勇気を皆さまからいただくことが出来ました。本当にありがとうございました。
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シネ・ヌーヴォ スタッフ一同 |