Vol.37 清水宏を観ずして、映画を語るなかれ!

 

 

清水宏の作品で、最初に眼を開かされたのは、『有りがたうさん』だ。上原謙が運転するバスが、伊豆の峠道を走る行程を、オール・ロケーションで捉えた画面に満ちる光や風、木々の揺らめきに、これぞ映画だと心躍らせたのだ。そして、それ以上に眼を見張ったのは、バスが、トンネルの入り口で休憩したところに、一度追い越してきた白衣の人の群れから、走り寄ってきた朝鮮の女が、工事中に亡くなった父をこの地に葬ったまま、自分たちは長野に行かねばならないと告げるのを、上原が優しく受ける一連に、胸が熱くなった。1936年の日本映画に、清水宏は朝鮮の女を登場させたのだ。


清水宏は、大日本帝国が朝鮮を植民地支配していた時代に、朝鮮の女や子どもに、いとも自然な眼差しを向けていたのである。それは日本人の少年が、朝鮮の学校に転校し、朝鮮の少年と、互いの服を交換するほど親しくなるのを描いた短篇『ともだち』を観ても明らかである。小津や溝口、成瀬など同世代の巨匠たちの作品で、朝鮮人が登場したことはない。そこに、清水宏という監督のとらわれない眼差しの広さを感じる。それは、『風の中の子供』や『子供の四季』などをはじめ、戦後の『蜂の巣の子供たち』などにも明かな、彼の子どもに対する眼差しに通じているだろう。


子どもに向ける眼差しということでは、それを具現化する撮り方にも触れなければならないが、いまは、その余裕がない。その代わり、というのでもないが、清水宏作品の中に時々見られる、身振りについて書く。それは、人が人を負ぶうということだ。たとえば『簪』では、田中絹代が笠智衆を負ぶう。メロドラマの『霧の音』でも、上原謙が子どもを負ぶう、『桃の花の咲く下で』でも、日守新一の按摩が、足を怪我した少年を負ぶう。そして、極め付きは、『蜂の巣の子供たち』だ。母親が死んだ海を見たいという少年を、仲間の一人が負ぶって、延々と山を登っていくのである。なぜか?知らぬ。

 
 

上野 昻志(批評家・映画評論家)

 
 
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