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角川映画の第一弾『犬神家の一族』(市川崑監督)が公開されたのは、1976年。大ヒットすると同時に、角川春樹が仕掛けた映画と同時にその原作本を売るという戦略が功を奏して、「横溝正史フェア」も大ヒットする。そして翌年には、第2弾の『人間の証明』(佐藤純彌監督)を公開、『犬神家の一族』を超える配給収入を獲得。と、角川映画の快進撃が始まるのだが、既存の映画会社や新聞の評などには、これに対して一様に、冷たい反応をする。シロートが、金に物言わせて好き勝手やって、いい気になるなよ、と、ムラ会社が、成果を挙げる新参者を差別するような空気があったのだ。
そこには、すでに斜陽と化した映画会社が、みずから打開の道を見出せない中での、ヤッカミもあったろう。そしてそんな恨み節の一方で、大作に多額の宣伝費をかけた角川映画の成功(そこには、映画と連動させた書籍の宣伝もあった)に刺激され、既存の映画会社も大作の1本立て興行に踏み出していく。角川映画の第3弾『野生の証明』(佐藤純彌監督)が公開された1978年から、日本映画は大作の時代に入り、テレビ局との連携も始まる。だが、角川映画は、大作にだけ拘泥していたわけではない。70年代末から80年代にかけて、低予算のプログラム・ピクチャーを作り出すのだ。
『蘇える金狼』(村川透監督)、『野獣死すべし』(同)など松田優作を主人公にしたアクション映画がそれで、大藪春彦ファンでもあったわたしなどは、これらを大拍手で迎えた。だが、それにも増して、角川映画のもう一つの功績として指摘したいのは、斜陽化した映画界の中で薬師丸ひろ子、原田知世、渡辺典子らの新人を専属女優として育てたことだ。すなわち、薬師丸ひろ子の『Wの悲劇』(澤井信一郎監督)、原田知世の『早春物語』(同)、渡辺典子の『伊賀忍法帖』(斎藤光正監督)というように。など角川映画の歩みを知るには、伊藤彰彦の『最後の角川春樹』(河出文庫)を読まれたい。 |
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