vol.23 吉永小百合讃

 

 

吉永小百合の映画デビューは、1959年、松竹の生駒千里監督の『朝を呼ぶ口笛』だが、このとき彼女は14歳。だが、青春映画のスターとして輝き始めるのは、翌年、高校入学と同時に入った日活で、若杉光夫監督の『ガラスの中の少女』で主演してからだ。相手役は、のちに名コンビを謳われる浜田光夫。


ここから、吉永小百合の1960年代の快進撃が始まる。なかでも忘れがたいのは、浦山桐郎の監督デビュー作『キューポラのある街』(1962)だ。鋳物工場が建ち並ぶ川口の街で、貧しいながらも明るく健気に生きる少女を、小百合は、これ以上はない見事さで体現した。
この映画に続いて、1962年は、『赤い蕾と白い花』(西河克己監督)、『あすの花嫁』(野村孝監督)、『若い人』(西河監督)と、小百合は、休む暇もなく銀幕を飾っている。また、『赤い蕾と白い花』で、彼女は、主題歌の「寒い朝」を歌って、これが大ヒット、歌手デビューも果たすのだ。続いて、彼女は橋幸夫とのデュエットで「いつでも夢を」をレコーディングし、これも大ヒット。翌年の映画『いつでも夢を』(野村孝監督)へと繋がっていくのだ。この映画では,トラック運転手に扮した橋幸夫が、主題歌以外にも、得意の喉を聞かせているので、そちらのファンも惹きつけたはずだ。


サユリストと言われる、吉永小百合の熱烈なファンが、いつ頃登場したかは知らないが、その中心は、彼女と同年か、それより2,3歳下の団塊世代だったのではないか。彼らは、銀幕の小百合に、共感と憧れの眼差しを注いだのだろうが、翻って思うのは、彼女の魅力とはなんだったのかということだ。戦後の、貧しい暮らしの中でも、精いっぱい頑張って生きれば、今日よりも明日は良くなるだろうという希望を抱けた時代を、小百合の明るく前向きな姿が体現していたからではないか。そんな彼女を見ることで、若者は勇気づけられる。吉永小百合は、あの時代が求めた稀有な女優だったのだ。

 
 

上野 昻志(批評家・映画評論家)

 
 
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