vol.13 高峰秀子讃

 

 

昨年の12月15日、国立映画アーカイブの「返還映画コレクション(1)――第一次・劇映画篇」で、石田民三監督の『三尺左吾平』を見た。これは、エノケン演じる左吾平が、その鞘の先に小さな車をつけた、自分の身長より長い刀を引きずりながら活躍する話だが、そこに高峰秀子が出てくる。これが、なんとも可愛らしいのだ。1944年公開の作だから、この時、彼女は、二十歳になるかならないかだろう。出てくるだけで、その場にホワっと明るい光が射すような感じで、楽しくなる。戦争末期のあの時代、それでも映画館に行った人たちは、そんな彼女に、一瞬でも心慰められたのではないか。


シネ・ヌーヴォの今回の特集では、1941年の『昨日消えた男』が上映されるようだから、改めて、10代の高峰秀子の可愛らしさが見られるだろう。彼女は5歳の時に、養父におぶされて行った松竹蒲田撮影所で、並み居る子役候補の中から、野村芳亭監督の眼にとまり、映画に起用された。以後、彼女の言によれば、「猿まわしの猿」のように、数々の映画に使われ、時には男の子の役もしたという。子役で人気になること自体は珍しくないが、彼女が、他でもない高峰秀子としてあるのは、歳を重ねつつ、戦中から戦後という激動の時代を、常に第一線のスターとして生き抜いてきたことだ。


『秀子の応援団長』とか『秀子の車掌さん』など、彼女の名を冠した映画があるように、高峰秀子は、人気スターではあったが、華やかなスターではない。地に足をつけた生活感のあるスターだったのだ。成瀬巳喜男や木下恵介が、これぞという作品に彼女を主役にしたのは、それ故である。日本映画界を見渡しても、このような女優はいない。それには、彼女の、自身を批評的に捉える賢さもあったのだろう。でなければ、『放浪記』で、敢えて不美人に映るようなメイクをするはずもないし、『笛吹川』の老婆を演じるはずもない。多くのスターの中で、平凡に見える高峰秀子こそ稀有な女優なのだ。

 
 

上野 昻志(批評家・映画評論家)

 
 
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