vol.3 山根貞男、好漢惜しむべし!

 

 

映画評論家の山根貞男さんが亡くなった。
その報らせを聞いてから一週間ほど気持が落ちつかず、何も手につかなかった。
病気のことは知っていたが、それにしても早過ぎるじゃないかと、独り文句を言っていた。
山根さんが居なかったら、わたしは映画批評を書いていなかったかもしれない。1968年、山根さんが、波多野哲朗さん、手島修三さんと映画批評誌『シネマ69』を創刊する時に、わたしに声をかけてくれたのだ。当時、わたしは、白土三平さんが『カムイ伝』の連載をしていた『ガロ』という漫画雑誌に「目安箱」という社会時評めいた文章を連載していた。それを読んでいた山根さんが、上野は映画好きなのではないかと、編集者としての勘で読みとったらしい。その時、わたし同様、山根さんに声をかけられたのが、蓮實重彦さんだ。ただ、最初からほぼ出来あがっていた蓮實さんとは違い、わたしは毎回、どう書くかで30枚の原稿を仕上るのに四苦八苦していた。映画を、そこで語られる物語や、いわゆるテーマについてではなく、映画ならではの息づかい、面白さを、いかに言葉にするかで苦闘していたのだ。そんな時に、助け舟を出してくれたのが山根さんだ。彼とあれこれ話をしているうちに頭がほぐれて、活路を見つけだす。優れた編集者は、書き手を育てるというが、山根さんは、まさにそれだった。
だが、彼はそこに留まらず、みずから映画批評の筆を執る。かくして映画評論家・山根貞男が登場するのだが、その仕事ぶりは、世のいわゆる評論家とは一線を画して異なる。彼は、自分がこれと認めた作家と徹底してつき合う。出来あがった作品を品定めするのではなく、そのベースにあるものを見定めようとする。その視線は、日本映画史の底に到り、それを現在形へと活性化すべく言葉を探る。日本映画は、そのかなりの部分を、山根貞男によって救われたのである。 好漢惜しむべし!

 
 

上野 昻志(批評家・映画評論家)

 
 
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