vol.4 作品の長さについて

 

 

最近、映画がやたら長くなっている。むろん、作品の内的動機によって、必然的に長くなったという場合は問題ない。というより、そういうときは、こちらも長さを感じないですむ。そうでなく、なんで、こんなに長いんだ、こことあそこを切れば、もっとすっきりするはずだ、と言いたくなる映画が少なくないのだ。たとえば、一部では、それなり評価されているらしい、『ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう』。人気のない街や、風に揺れる木々などを撮った風景ショットの一つ一つが、やけに長いのだ。これは、作り手が、どう、美しいでしょ、見てください、と自分たちが撮った絵に見惚れて、淫しているからだ。その結果が150分。見た目、どんなに美しい風景であろうと、生きて動く映画の展開からすれば、容赦なく切るしかない、ということを作り手がわかっていないのだ。

 

そんな連中が、しっかり見て学ぶべきは、ダルデンヌ兄弟の『トリとロキタ』である。出身地は違えど、アフリカからベルギーに密航してくるなかで親しくなった12歳の少年トリと、10代後半の少女ロキタが、ベルギーの街で、金を稼ぐために、レストランの料理人の指示で麻薬の売人をしている。しっかり者のトリに対して、ロキタは、ビザ取得の審査に何度も落ちる。彼女は故郷の母に、弟たちを学校にやるための金を送ろうとするが、密航仲介業者に取り上げられてしまう。それでも、なんとか金を得たい彼女は、さらにヤバい仕事を引き受ける。その結果・・・。夢を抱いて豊かな世界にやってきた少女と少年が辿る過酷な運命を、しかし、ダルデンヌ兄弟は、一切の思い入れもなしに、淡々とアクションを積み重ねて描いていく。まさにハードボイルド、というべきタッチで押し切るのだが、それだけに、観ているこちらは、トリとロキタに重ねて、世界中どこにでもいるであろう彼らの仲間のことを思いつつ、悲痛な思いにうたれる。それで、この映画、わずか89分なのだ!

 
 

上野 昻志(批評家・映画評論家)

 
 
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